マリオカート、見つかりました

部屋、掃除してみるもん。
オーランド・ブルームが、ユニクロのCMに出てますなあ。スゴス。
内田師匠が、メディア批判をバシバシやっていますね。スゴス。
CEATECに行ってみたりしてみたりしているのですが、某ガラパゴスなブースにいた、若干身体の大きなコンパニオンさんが気になりました。あと、某セラミック企業にいた、そこの人も若干身体が大きかったのですが、少しヤケッパチな雰囲気をまとってパンフを配っている人とかが、なんか、良かったです。某ニアさんが、元気なステージで、なんだかこちらも元気をもらったような、そこだけモーターショウのような、そんな空気でしたけど、良かったです。
忘れていた、チェルフィッチュの感想です。
個人的なブログというか日記なので、個人の感想になります。アシカラズ。
というか、観る前にご飯を食べ損ねたので、開演してから途轍もなくお腹が空き、冷や汗がダラダラこぼれ、お腹はグルグル痛み出し、なんだか観劇どころではない状態になっていました、前半。
でも、前に見た〜のか?との違いについては、そこはかとなく感じ取れてもい、なんというか幸せって何なの、という問いに、答えるには、どうしたらええの、という、もうどこを掴めばええのん、という劇なんです。
基本的に、観客に想像することを強いるので、観客には優しくない感じなんですが、それについてはアフタートークでも言及していましたね。
コンタクトゴンゾの人が、アフタートークで登場して、岡田さんと話しているのですが、ゴンゾの人の、考えながら流れるようにしゃべるやり方が、なんかかっこいいなあと思いながらみていました。
生きることに対して、どう主体的に振舞うか、ということがその話のテーマみたいに感じられたのですが、どうなんですかね。
岡田さんが飲み屋で批判されたのは、生きてることへのコミットメントの浅さというか温度の低さというか、そういうことなのかなあと。じゃあ深ければいいのか、熱ければそれが正義なのか、というとそんなことはないと思うので、岡田さん的に、一歩引いたというか、現象を鳥瞰するというか、そういう視点は必要なんだと思うのですが。
観る人によっては、受身に映ってしまうのでしょうか。
最近自分でも考えていることなんで、そういう解釈、翻訳になってしまっているのかもしれないですけども。
本を読むことで、何かをわかったような気になっても、それは思考することを怠った上でのものでは、何も得られず、ただそれを自分の中に通過させただけ、のようなものではないか。
結局それは、なんでもそうなんですけど。
あと、起こられ続けているうちに、あー自分はこうなのかーと思えるようになってきたりしました。
あと、友人が退院します。良かったです。
今日は、焼肉食べました。久しぶりに。