素晴らしくナイスチョイスな、瞬間

ジッタリンは、分泌されているか。
ジッタリン過剰反応が起きているか。
オレを見つめて!
昔、フィッシュマンズのライブアルバムを、大学近くのレンタルCD屋さんの閉店時のセールで買ったのだけれども、何かピンと来ず、でもこれは良いのだろうという感覚だけはあって、社会人になってから空中キャンプを買って聴いたら、とっても良かった、というか良いと思えて、ずいぶん聴いた。
なんでこんなことを思ったのかというと、ゆらゆら帝国にその感じを覚えていて、今ピンと来なくても、いずれ来るんじゃないかと思っていて、空洞です、とかすげえピッタリ来るときが訪れるのではないかと、思っている。
ほかの人の、はてなダイアリーで、とても学術的というか、アカデミックな文章を見ると、ここのゆるさというか、何もなさに愕然とするが、もう戻れないので、それで良いかと思っているが、憧れはあり、そんな風になって行けるんであれば、もう行けてるんじゃね、とも思っている。
裁判について考えさせられることがあって、まあ、それは、それで、考えていこうと思う。
上で書いた、大学近くのレンタルCD屋さんの横にはビリヤード場があって、そこで良くビリヤードをしたのだが、そこの店員さんは空いているビリヤード台で練習していて、その人たちがやけにビリヤードが上手かったのを思い出した。
冬になるとストーブがあって、上手い人たちはそのストーブに集まって何事か談笑していたのをまた、思い出した。
その当時、自分が乗っていた自転車が、もうその辺に打ち捨てられててもいいんじゃないかというくらいの、ボロっちい自転車で、サドルが硬く、長時間乗っていると大抵ケツが痛くなったのだが、それでも買い替えようと思っていなかったのは、何故なのか全然思い出せないし、その自転車で良く一人でアッチコッチに行っていた。
いま、どこにあるのか、それは、わからない。