肯定を肯定する、ってどういうことなのか

まだ全然わかってないですけど。
時間の時間性というものがあって、結局のところ、過去を否定しても過去は変わらないし
、過去を肯定したところでそれでも過去は変わらない。
現在は過去の延長線上にしかないし、過去の選択の積み重ねで現在がある、というのは事実としてある、と言えるような気もする。
関係性、ネットワークの接続の連なりの中で、極としての個人の現在があって、でもまあ、そんなこと言ってても、時間はこの一瞬でしかない。
時間の書き換え不可能性を嘆いたところで、どうしようもないが、何が現在のファルスであるのか、ということを知ることは無意味ではないと、思いたいのではないでしょうか、どうでしょうか。
ああ、寝よう。